命をいただく
お盆休みを利用して、ハンガリー・ルーマニアに行ってきました。学生時代から通い続けて四度目ですが、なぜそんなに気に入っているのかというと、それは村の素朴な暮らしに魅了されてしまったためです。
藁を運ぶ馬車。車道には「馬車に注意」のマークがあります。
この道は舗装されていますが、ガタガタの泥道も多いです。
村を自由に歩く鳥たち。鶏、ちゃぼ、あひる、巨大な謎の鳥など。
ルーマニアの市場。夏は、道端でスイカだけを大量に売っている
店もあります。野菜や果物が、カラフルで巨大でした。
村ではたくさんの食物を自給しています。私が泊まった家のClaraおばさんも、自家菜園をしています。なす、かぼちゃ、とうがん(みたいな巨大瓜)、トマト、とうもろこし、パプリカ・・・もはや自家菜園の域を超えるほど、たくさんの野菜を一人で育てています。木になっているりんご、洋なしは、井戸で洗って食べました。玄関先はぶどう棚で涼しい影ができます。種や皮などの‘食べかす’は畑の肥やしに、青いまま落ちたりんごは馬が食べ、ご飯の残りはブタや牛、猫や犬に与えます。人間の食べ物でいいの?と思いましたが、猫や犬が意外と長命でびっくり!(日本も一昔前の犬猫の餌は猫まんま、犬まんまでしたね^^;)
朝は鶏の鳴き声と太陽の光で、自然に目を覚まします。そこら辺を走り回っている鶏は、やがてスープになります。(少し残酷なようですが、自分の手で育てて料理するということ、骨まで使うこと・・・一杯のスープに、こんなに思いをはせたことはありません。命を頂いているんだなぁと、心から食べ物に感謝しました。)
ところで、東京支社で食糧自給率について小さな勉強会がありました。日本の自給率は40%ほど。もしも店に食料が並ばなくなったら、私はどうやって、何を食べるのだろう、と考えました。農水省の資料によると、(自給だけで暮らす場合)米は一日に2回しか食べられなくなるそうです。(出版物“いちばん身近な「食べもの」の話”12ページ参照)
今後、食料問題は考えていかなければならない問題だと、旅行生活で改めて思いました。旅行中は、郷に入れば郷に従えで、あちらの料理を何でもおいしく食べました。でも、日本に帰ってからはまた玄米菜食しています。やはり日本人には米が一番です。
元氣亭の【食事道膳】。手を合わせて「いただきま~す^0^」